202208/10
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解像度はつねにあげていきたいねって話 #フリフリ037

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2022.08.10

解像度はつねにあげていきたいねって話 #フリフリ037

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解像度はつねにあげていきたいねって話 #フリフリ037

※「フリーランスのフリートーク」とは、スタッフが独断と偏見と気分で綴るコラムです

こんにちは。後藤です。
最近原稿を書きながらアニメで「ワンピース」を全話振り返るという旅をしまして、50日くらいで1040話くらいを見終えました。
本当に原稿書いてたの?という質問はなしでお願いします(いえ、ちゃんと書いてますよ。笑)。

さて、いつも前置きが長いので、今日はそそくさと入りたいと思います。

実際にあった素敵な話。
とある会食のため、とあるお店を予約しました。まぁ、福岡では知らない人はほとんどいないかなと思われる老舗中の老舗です。
5名での予約だったのですが、仕事の話をしっかりしたいので、本当は個室がよかったんですね。
ただ、個室は6名からとHPに書いてあったので、予約時には何もお訊ねしませんでした。

そして。

予約の前日、そのお店からお電話があり。
(登録してなかったので、一瞬「どこじゃ?」となりましたが)

①明日が予約日であるが、人数や時間、メニューに変更はないかの確認
②実は個室が空いており、10%の席料はかかるがいかがですかという案内
おぉ、なるほど、と後藤は唸ったのであります。

さて。
みなさんは、この①と②について、どう考えますか?
まぁ、色んなお考えがあるかと思いますが、後藤はこう考えました。

①について。
もちろん、昨今のコロナ事情で急なキャンセルもあるため、極力防ぎたいということはあると思います。
しかし一方で、飲食店にもスタッフさんがいて、人件費がかかっていて、なんならお料理のための食材も毎日計算して仕入れていて、その先には生産者さんがいる。計画が狂うと色んな人が困ります。
少しでもロスをなくすためにこうしたお電話を一本入れる、なんと丁寧なオペレーションではないかと感動しました(えぇ、感受性だけで生きていますので)。

そして、②の個室の件。
実はこのお店、個室以外だと少しテーブルが手狭で、ゆっくり仕事のお話をするには正直個室がいいなぁという感じなのです。ですので
「いや実は、予約の際に個室をお訊ねしようかと思ったんですけど、人数がですね」
と返しました。するとです。
「個室については、前日にもし空室があった場合、5名でご予約のお客様から順番にご連絡を差し上げているんです」
という回答だったのです。
 
もう、後藤はなんという素晴らしい気配りなことよと即座にお願いしました。

確認と、追加提案で、漏れを防いでさらに10%確保できる。
そしてそれをしても、お店の品格からして下世話な印象を与えない。
ここまでできるのは、内外の取り組みに対するこのお店の神経の細やかさがあってこそだと私は感じました。

同じことをしても、つり合いがとれていないと「商売に走っている」としか見られない。
しかし逆に、このお店で同じ案内を受けても、「商売に走っている」「余計な案内」と感じる人もいるかもしれない。
これって難しい問題というか、「感じる」「受け取る」という所作は、強制するものではないですし、強要するものでもないと思います。
ただ、私は、クリエイティブという「見えない」「何してるかわからない」仕事なので、ご理解いただけないことも多々あるからこそ、わかってくださった方のお声が本当に嬉しかったりします。
このお店でも、心無い返しをされることもあるかもしれません。もしそうだった場合、このお店ではどんな心の処理をするようにスタッフさんに伝えているのか、聞いてみたいなとさえ思いました。
(もしかしたら、これをここまで読んでくださっている方の中に、かつてそうした想いで仕事をしながらも、いわれのないPOISOINを食らって「もうやるかバカヤロー!」となってしまわれた方もいらっしゃるのではないかと思います。わかりますよ…後藤もこんな聖人君子みたいなこと書いてますけど、POISOIN浴びては場所を選んで吠えてます!)
 
とてもセンシティブで、解像度が違えばさっぱり伝わらないお話ではありますが、そういう部分を感じ、思いやり、称賛し合える社会に少しでもなればいいなと思っていますが、そこに至る/至らないに関わらず、自分が理解できないことに対し、天に唾を吐くような行動だけはしたくないし、しないほうがいいよ、と、そのくらいは言える大人でいたいと思っています。
 
人生の節目節目で、先輩たちに同じ言葉を言ってもらってきました。
「大丈夫。見てる人は見てる。」
この言葉、頑張ってれば見れくれてる人がいるよ、とだけ解釈するのは若いうち。
段々と、見てない人は何も見てないことにも気づいていく、それが四十路の後藤の途中経過的所感であります。
そして人は、自分が見えているもの、知っていることにしか理解を及ぼせない。だからこそ、知り、感じる作業は死ぬまで続けていきたいと思っています。
 
そして、理解してくださる方のために、自分の力を使いたいと思っています。

 
「背中の傷は、剣士の恥だ」(ロロノア・ゾロ)
「届け- 遥か、彼方へ」(赤井秀一)

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