202201/16
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ゼロイチをITっぽく考えてみた #フリフリ034

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2022.01.16

ゼロイチをITっぽく考えてみた #フリフリ034

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ゼロイチをITっぽく考えてみた #フリフリ034

※「フリーランスのフリートーク」とは、スタッフが独断と偏見と気分で綴るコラムです

ごぶさたしております。
フリーランス代表取り締まられ役の鈴木です(_ _)

オミクロンが元気になってきましたが、それ以上に冬将軍の元気の良さに白旗を上げ、諸般の事情もあり事務所で石油ストーブを導入しました。
結局換気することになるのでコロナ対策にもなりちょうど良かったかもしれません。
ものは考えよう。

考えようといえば(強引)、最近、でもないですが、ゼロイチという言葉を耳にする機会が多いです。
0→1でゼロイチ。つまり何もないところから何かを生み出す、そのはじめの一歩みたいなイメージでしょうか。

今日はこのゼロイチについて、一風変わった思考の旅のご提案にチャレンジしてみたいと思います。

鈴木、ゼロイチ明文化の旅

きっかけはとある仲間同士での懇親会。
そこで今から語るような話で盛り上がったのですが、スタッフさんからとてもわかりやすいとのお声があり、じゃあちょっと明文化してみようかと思った次第です。

こんなシーンでよく使われる気がします。
「私はどちらかというとゼロイチよりもイチジュウやイチヒャクが得意だな、ゼロイチはできないのでお任せ」
「私はゼロイチしかできないから、イチジュウやイチヒャクが苦手、、そっちは誰かに任せたいな」

アーティストさんの世界とかはイメージしやすいでしょうか。
もちろんアーティストではないので正確な表現ではないかも知れませんが、すごくいい曲を作る作曲家さんさえいれば音楽文化は浸透するのかというと必ずしもそうではなく、その作られた曲をプロモーションするプロモーターさんがいて、いろんな楽しみ方を提案する企画屋さんがいて、その企画を実現するエンジニアさんがいて、初めて広く浸透していきます。
ではプロモーターさん達だけが優秀であればいいのかというとそうではなく、やはりそこはいい曲が生み出される事が大前提にあるかと思います。
世の中には全てできてしまう超人も中にはいるかも知れませんが、、

プロモーターさんたちがゼロイチではないのかというと厳密には違うと思いますが、話を簡単にするために一旦このような表現をしました。

で、同時に出てくるワードとして、「産みの苦しみ」というのがあったりします。
何もないところからなにか生み出す、って、まあイメージ的に何となく大変そうなのはある程度共通認識かなと思います。
ただですね、じゃあイチジュウやイチヒャクが大変じゃないかというと、当然大変だと思います。
お互い大変なのですが、この両者、理解し合えないことが多いなーと感じています。

例えば経営者と従業員、総務と営業、そういうところで、全然話が噛み合わず平行線で、収拾つかないので最後はパワーでねじ伏せる、みたいな事経験したことありませんか?

いろんな原因はあると思うのですが、一つ大きな原因なのではないかと思うのが、ゼロイチというプロセスを、0→1というワンステップだと認識していることだと考えます。

え、違うの?

と、もしかしたらゼロイチ派の人も言うかも知れません。

この0→1のプロセスに何が起きているのか、僕が大学時代にかじった数学的な概念を強引にねじ込んで見たところ、何ということでしょう、なぜかすごく分かりやすいそれっぽいモデルっぽいものができた!

あくまでっぽいの領域を出るものではないのでエンタメとして聞いて下さい。

ゼロは何もないではない

まずそもそも、0、ゼロとは何なのか。
仲間の経営者がこんな趣旨のことをおっしゃいました。
「ゼロというのは、何もないと言うことではないんだ。
 ゼロは物事の始まりの起点であって、起点は何もしなければそもそも発生しない。
 だからゼロはゼロを生み出さなければそもそも存在しなくて、ゼロを作った、というのが正しい表現だ」

とても新鮮な価値観だと一同とても興味深く聞いていました。
この方のお話、あながち感性や哲学の要素だけではなく、実は情報科学的にとても的を射た話です。
(鈴木は大学時代、数値流体力学という情報科学と物理学を混ぜたようなマニアックな分野の研究をしてました)

情報科学の分野でも、「0」と「何もない」は明確に違うものとして定義されています。
具体的には、「何もない」というのは「null(ヌル、ナル)」と言います。語源は「ない」という意味のラテン語「nullus」から来ているそうです。
エクセルで例えると、何も入っていないセルには実は「null」という値が入力されています。そしてそこに「0」を入力することでそのセルは初めて「0」になります。
つまり、「認識する」ことからすべては始まる、それは数値的には0だけど、決して何もない「null」ではなく、大きな一歩で「0を作り上げた」とも言えます。

つまり、そもそも0の前に、null→0という工程が発生していた、という事ですね。

「何言っているのか分からない」の正体

懇親会でそんな話で盛り上がってきた中、鈴木がさらに悪乗りしました。
「もしかしたらゼロイチって、0→1じゃなくて、0→iから始まるのではなかでしょうか?」
iってなに?アイハブアペンのアイ?

理系の方はピンとくる方もいらっしゃるかも知れませんが、iというのは、虚数単位と言って、高校の数学ⅢCあたりで習うものです。

虚数に対する正確な理解は、もう字面だけで難しそうなのがひしひし感じられるように、僕もできていません。超深いので間違いを恐れず端的な表現を目指します。

虚数の虚とはつまり、現実にはないものを表します。
虚の数、虚数に対して、我々が日常で使っている数字は全て実際の数と書いて実数と言います。

え、使わないのに何でわざわざ昔の人はそんな面倒くさいもん作ってくれちゃったの?

答えは、「本当はないけどあったら便利だから」です。

実際には電磁気学とかそっちの方でよく使われていると記憶してますが、それは置いておいて。

普段生活している時、人って常に2種類の情報を同時に処理しているのではないかと思います。
「事実」と「空想」です。
「おなかすいたなー(事実)、今日は何食べようかなー(空想)、(目の前の風景(事実))、(無意識で)めんどくさいから目の前に食べ物降ってきてくれないかな、調理済みで(空想)、(Mのマークの看板が視界に入る(事実))、あ、今なんかなぜかとっても○ックな気分、○クドナルドに行こう!(結果)」

みたいな。
ここで、(空想)としている部分は、他人から見たらないのと同じだし、下手したら本人も無意識で自覚がなく、ないのと同じです。
なのに、結果に影響を及ぼしているわけです。
物理学の世界でもそういう現象があり、「実際にはないんだけど、存在はしている、そんなのを表す数字ないかなー」という中で発明された数字がiです。
ちなみに何でiかというと、英語のimaginary(想像上)の頭文字から取ってiです。

こっからが昔の人の発想ってすごいなーと思うのですが、じゃあ現実にはない数字って、いったいどうやって作るのか、っていうところなのですが、iの定義として、
i✕i=-1
というのを作りました。
現実の数字の中に、自分自身をかけ合わせてマイナスになる数字はありません。
つまり実際にはない数、虚数、ということになります。

ゼロイチをする時って、最初の発想というのは得てしてなんか人に説明できない、自分自身ですらよく分からないものであることが多いのではないかと思います。
つまり最初の発想というのはいきなりイチ、つまり実数にはなっておらず、i、つまり虚数なのではないか、というのが僕の仮説です。

「社長がなんか言いよるけど、あいつ何言ってるかわからんし、自分でも分かってなくない?なのに仕事もせずによく分からん人と飲み歩いたり、遊んでばっかりで、うちらが忙しくしてるのに何であいつはわけわからん事ばっかやっとるのか、ほんと意味わからん」

みたいなやつです。ちょっと表現は誇張してますが(笑)

でもその「訳わからん」が、実はiなんじゃないか、という事です。
そして、分かろうとすることは無意味なのです。なぜなら虚数だから。

さらに、それがさらに進み、人に理解できる状態になったとき、それがいきなりナイスアイディア!となる事は少ないです。
つまり数式で表すと先程の
i✕i=-1
という状態です。マイナスです(笑)

そしてそこから言い出しっぺはまた思い悩み、人に理解できない領域に踏み込みます。その過程は最初よりも辛いことが多いです。なぜなら、最初の発想はただのiだったのに対して、今は
i✕i✕i=-i

iもマイナスになっちゃってるからですね(笑)

けど諦めず進めていった結果、最終的に
i✕i✕i✕i=1

ここまでいってようやく、みんなが理解できる建設的なアイディア、つまりゼロイチの達成となります。

つまりこの仮説によると、ゼロイチとは
1.0→1 以上

という単一プロセスではなく、実は

1.null→0
2.0→i
3.i→-1
4.-1→-i
5.-i→1

という5つのプロセスから成り立っている、と言えます。
nullとかiとか訳のわからないものがあるから、その存在を認識してない人にとっては共感できないのも当たり前かもしれません。
だけど「わけわからないけど確かにある」という事を受け入れることで、共感を持てるようにもなるのではないでしょうか?

0を作り、iを4回繰り返して1にする、そしてイチジュウやイチヒャク担当の人に引き渡し、1に実数、つまり目に見える仕事を積み重ね10や100にしていく、そんなイメージです。

i(虚数)は実在しないもの、言葉にできない、表現しえないものです。捉えどころのないもの、形のないものに向き合う仕事というのは、それこそiならぬ「愛」の必要な事なのかもしれません。

そんな所で、今回はゼロイチをなんちゃって科学してみました。
みなさま、愛をお大事に!

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