chatGPTとFL(フリーランス) #フリフリ039
こんにちは!
フリーランスの鈴木です。
この冬はとんでもない寒さが続きますね、、みなさま体調崩したり、ケガをしたりしないよう、お気を付けくださいませ。
「防寒対策」というキーワードで考えるパーソナライズ
さてさて、例えば防寒対策として、みなさんはどんなことをされていますか?
手袋をする、マフラーを巻く、Hテックを着込む、などなど
他にもあるかも、と思ったとき、まずどのような行動をとるでしょうか?
そう、みなさまの今お手元にあるそれ、スマホで検索なんかしたりしませんか?
そうですね、僕だったら、
「防寒対策 お店」とか?
ただ単純に「防寒対策」と検索する人もいるでしょうし、例えば部位、特に自分は足先とかが冷たいので「足先 冷たい 対策」といったワードで検索するかもしれません。
この、「防寒対策」とか、「お店」とか、「足先」とかいうのは、いわゆる「キーワード」というやつですね。
単純に「防寒対策」とするよりも、自分の目的のものを探しやすいです。
このキーワードのチョイスをいかにするのか?が、自分の腕の見せ所となるわけですね。
友達と街歩きをしていて、例えばふとクレープが食べたい!みたいなことを言ったとき、異常な速度で「ここいいみたいよ!」みたいな情報を出してくれる人いませんか?あれです。
そして、時代は進化しまして、お気づきの方もおられるかと思いますが、自分のスマホと、他の人のスマホ、同じ「防寒対策 お店」と検索しても、検索結果が微妙に違います。
例えば、福岡在住なのに北海道のお店を紹介されても、いかにラインナップが充実していてもあまり意味のある情報とは言えませんね。
この人に合わせて情報を変えてくれる機能を「パーソナライズ」と言います。
最近のスマホは本当におりこうさんですよね。20年前とか、想像できたでしょうか?
いろんな前提を端折ってお話をしていますが、だいたい今の情報収集とはこんな感じです。
(専門的な解説をすれば、例えばSEOとかCtoCに代表される販路の多様化とかありますが長くなるので割愛)
新しい技術「chatGPT」
そして今、にわかに注目を集めているのが、OpenAIという団体が開発、提供している「chatGPT」というアプリ?システム?です。
かのMicrosoft社が巨額の出資を表明したことでも話題になっています。
これも簡単に説明すると、「コンピューターおばあちゃん」みたいな存在です。いわゆる「AI」の一種です。
え?わからない?世代の方しか知らないかもしれませんが、僕の小学校ではみんなのうたでしょっちゅう流れていました。
https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN198112_04/
子どもの頃、何かわからないことがあると、物知りなおばあちゃんに尋ねたりしたことなかったでしょうか?
子どもの質問なので、大体要領を得ていません。「キーワード」なんてそれこそ意識しないでしょう。
でも、おばあちゃんは、その子にとって役に立つ情報を、豊富な知識からわかりやすく優しく伝えてくれます。
普通の検索と圧倒的に違うのは、
「情報の取捨選択をAIがしてくれる」
「自分の分かりやすい形に情報を成型してくれる」
この二点でしょう。
ますます人間がダメになっていきますね(笑)
(全く関係ないですが、鈴木が今一番欲しいものは、「人をダメにするクッションです(笑)」)
コンシェルジュとフリーランスの意外な関係
ところで、本記事はこの「chatGPT」を掘り下げるのが目的ではありません。
これはいわゆる一つの「コンシェルジュサービス」であると思います。
「コンシェルジュ」とは?
https://www.elan-jp.com/zukan/concierge_shurui.htm
語弊を恐れず言いますと、コンシェルジュは我々の生活に必須ではありません。
なぜか?
例えば前段の「検索」能力に秀でた人からすれば、自分で必要な情報に素早くありつけるので、もしこのコンシェルジュにチップとか払う必要があるとすればただのお金のムダです。
「そんなこと言いきっちゃっていいの?」「業界団体から訴えられるんじゃないの?」
大丈夫です。
なぜなら、我々フリーランスはまさに、この「コンシェルジュ」だからです。
自虐している人に追い打ちをかけるほど人間社会は冷たくないです(と思いたい)
たまに、親しい友人に悲しいことを言われたりすることがあります。
我々の行っているサービスの話をして、
「お前、それ詐欺じゃん」
と。
我々のサービスは、もちろん我々専門家自身が手を動かすことも多いですけど、主な役割はお客様のコンシェルジュです。
つまり、人間界のchatGPTです。コンピューターおばあちゃんです。
例えば私の専門分野はITですが、トラブル対応や機器手配以外に、こういう相談やお困りごとが多いのです。
・業者さんに進められてネットの機械を買ったのだけれど、トラブルが多いので問い合わせたら「当社のシステムに異常はありません」と言われ問題が解決しなくて困っている
・法律が変わって新しくシステムを導入しないといけないけど、頼んだ業者さんの話が全然分からず、言われた通りやっているのだけれどこれでいいのか不安
予め言っておきます。
業者さんは悪くありません。
これは、起こるべくして起こっている問題です。
なぜか?
そういうビジネスモデルだからです。
機器やシステムの販売をする業者さんにとって最大に利益が上がるのは、「物を売る」その瞬間だからです。
営業活動や顧客フォローを行う理由は、どんな美辞麗句を並び立てても、すべて「物を売る」ことが目的です。
それが一番「利益が最大化する」のだから、当たり前です。
お客様の問題を解決しても、時間の無駄なのです。物が売れなければ。
だからそのような無駄なことは極力したくないのです。
それをした結果「物が売れる」からサポートをするのであって、お困りごとを解決したら報酬が得られるビジネスではないのです。
業者さんをこき下ろしたいわけではないです。
むしろ、ユーザーのみなさまに正しい認識をしていただきたいです。
「物を売る」ことを目的とした業者さんがいなければどうなるのか。
社会は機能しません。
私たちは常にたくさんのものに囲まれて生きているわけですが、それらはそのものを売りたい、という強いモチベーションがある業者さんがいたからこそ、安定供給され、知ることができ、たくさん売れるから適正な価格で手に入れることができます。
すでに「物を売る」ということに特化してくださっている時点で、大きな社会貢献を果たしてくれています。
だから、我々ユーザーは、欲張ってはいけません。
「足るを知る」
特に、一番やってはいけないのが、
「お前のところで買ってやったんだから、面倒見るのが当たり前だろ」
といって、その「面倒を見る」という行為に対し対価を払わないことです。
それが常識になっていった結果、何が起こるか。
物は安定供給されず、知る機会も減り、販売以外にコストも労力も割かれるため物価がどんどん上がっていき、それを抑えるため人件費が下がっていき、日本はさらに貧困に向かっていく。
大げさだと思いますか?
少々話が飛躍しましたが
つまり、
「物を手に入れる」
「自分にとって有益なものが何かを知る」
「物を買う買わないにかかわらず、自分の環境を良い状態に保つ」
は全然別物で、
「レストラン」
「テレビや新聞、雑誌」
「お医者さん」
くらい違うお仕事だと思ってください。(上記は例えです)
それを認識するだけで、ずいぶん過ごしやすくなるはずです。
えー、大分話がそれました
我々フリーランスは、「コンシェルジュ」だというお話をしましたが、上記の例で言うと「お医者さん」に近いと自覚しています。
我々は、基本的に物を売らないし、自分たちで持ってもいません。
パソコンも、それ以外の機器も、売ったり作ったりはほぼしません。
ただし、
「物を買う買わないにかかわらず、自分の環境を良い状態に保つ」
ために、あらゆる手段を行使することができます。
それができる知識と経験、そして仕入先や人脈を持っています。
結果として物を売ることはあっても、それは手段であり目的ではありません。
そして、お客様から「診察料」という名の報酬をいただきます。
なので、
「信頼」
「結果」
「安心」
こういったものが直接報酬に対する対価になります。
それが、定期的な診察なのか、手術や入院などの一時的なものなのかの違いはありますが。
ここで本題(遅いわ!)
前述のchatGPT、我々と同じ「コンシェルジュ」です。
昨今、人の仕事がAIにとってかわられる、と言いますが、では我々フリーランスはこのchatGPTに取って代わられるのか?
僕の答えは
「取って代わられるならその方がいい」
「だけど、取って代わられる必要がないだろう」
です。
お前は誇りというものがないんか!と怒られそうですが。
しかし考えてみてください。
人間は、活動時間は有限で体や心という余計なもんが邪魔をし、知識量もネットの情報にはかないません。
性能的には圧倒的にchatGPTが上です。
そりゃそっちができた方がいいでしょう。
では、なぜ「取って代わられる必要がない」のか
サービスが未発達だから、という意味ではありません
仮にこのサービスに、人間と同じように五感が備わり(センサーつければ原理的にはできます)、知識や経験も我々と同等かそれ以上になったとします。
でも、それだけじゃ無理です。
最大の理由は、
「報酬」を必要としないから
です。
我々コンシェルジュ的な立ち位置の人間は、
「信頼」
「結果」
「安心」
といったものが対価です。
真心をもってサービスを提供するとはいえ、本質的にはその行為に対して金銭的、非金銭的な「報酬」があるからこそそういったサービスを提供しています。
報酬を必要としないAIに対して、どういった根拠で「信頼」を感じることができるでしょうか?
裏がないから?いやいや
自分に親切にしてくれる人に、もし全く裏がなかったとしたら、怖くないですか?
金銭的にはなくても、例えばおばあちゃんが孫をかわいがるのも、「かわいい孫の笑顔」という報酬があるわけで
そういう利害関係がしっかり成立しているからこそ、周りも安心してみていられるわけです。
より多くの「報酬」を必要とする心
それがより大きな「信頼」と「安心」を得る原動力になり、「結果」に繋がる。
同じ結果がもしchatGPTを使って出せたとしても、それはそれを使った人の「コンシェルジュ能力」が高かっただけの話。
そういった意味で、chatGPTは「コンシェルジュ能力が高い人が、より結果を出しやすくすることのできるツール」と言えるかもしれません。
お寿司屋さんの使う包丁、みたいな感じですね。
ちなみに、例えば経営者として優れているがITが苦手な方が同じ結果を出せるかと言ったら「?」です。よりよい結果を出すにはある程度以上のリテラシーが必要です。
ではリテラシーがない人間は能力が低いのか?
それは「英語ができない人間は能力が低い」と同義で、まったくの的外れです。
日本に多大な貢献をしていただいている日本人の、いったい何割が英語を話せるでしょうか?
コミュニケーションが必要なときは適宜「通訳」や「翻訳アプリ」を使えばいいだけで、英語が話せる人は英語を話せばいい。
むしろ「英語が話せる人が能力が高い」と言って画一的にそこで評価するような教育をしてしまうと、英語が苦手でもほかの能力で十分社会に貢献できていたはずの人をつぶすことになります。
話を戻して。
AIが報酬を必要としたとき
それはもはや、「人間」でしょう
むしろ報酬を必要としない、というのがAIの特性で、強みでもあるわけなので、悪い事ではなく、つまり
「報酬」を必要とする人間
「報酬」を必要としないAI
それぞれの特性を生かせる分野で棲み分けることができます。
そういった意味で、「取って代わられる必要がない」です。
取って代わられるその時は、すでにAIというものは存在せず、AIという形をした人間がいるだけです。
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今回はこんなところで。
「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ」
というセリフをどこかで聞いたことがありますが、「モノ」と「ヒト」の境界線があやふやになってきている昨今、改めてその存在について考えを深めていきたいなと思う今日この頃です。
みなさんはいかが感じたでしょうか?
しかしあまり考えすぎるのも考えものかもしれませんので、いずれにしても楽しく過ごせることが一番なんじゃないかと思っています。