202005/12
FREE FREE TALK

そなえよつねに #フリフリ011

FREE FREE TALK
2020.05.12

そなえよつねに #フリフリ011

2020.05.12
FREE FREE TALK

そなえよつねに #フリフリ011

※「フリーランスのフリートーク」とは、スタッフが独断と偏見と気分で綴るコラムです

フリーランス代表兼情報システム部門リーダーの鈴木です。

コロコロめ、なかなかしぶといな。

しかし今回は少し冷酷な見方をば。
いや、なぜかと言いますと、今大変な思いをしている方たちに寄り添う言葉は数多いけど、諫める言葉は不謹慎な風潮がある
ただ、愛があるからこそ(ここ大事)、多角的なものの見方を提案することも必要だと思っています。

もうこれ以上傷つきたくない方は、こっから下は見ないことをおすすめします。
何か未来に向かってのきっかけがほしい方は、何かあるかもしれません。ないかもしれません。

まあほとんどが自分を戒めるために書いている部分もあります。
みんなで知恵を出し合って一緒に成長していきたいですね。
 
 
 

あなたはどっち?

結論、今バタバタすることに、大きな意味はないと思う。
若干コロナ祭りになっている今だからこそ、一度冷静になり、感情ぬきで周りを見渡してみてください。
対して影響を受けてない方、じたばたしていない方は、次のうちのどちらかなはずです。

1.意識してかせずか、自社のビジネスモデルがこの状況に合っていた

2.日頃からあらゆる事態に備え目先の利益に囚われず研鑽を積んでいた

1.は、逆に状況が変われば事情も変わるので、これで一喜一憂していても本質的ではないのかと思います。
考えるべきは、2.かな、と思います。

このブログのタイトル「そなえよつねに」とは、自分が小さいころ活動していたボーイスカウトという団体の創始者、ロバート・ベーデン=パウエル卿(イギリス 1857-1941 享年83歳)が約100年前から活動のモットーとして掲げていることばです。
ちなみにこの方、ボーイスカウトを知らない方にとってはなじみのない方かもしれませんが、1939年にノーベル平和賞の受賞が決定していましたが、第二次世界大戦のため取り消されるという経歴をお持ちです。
ボーイスカウトについて興味のある方はこちらからどうぞ。
https://www.scout.or.jp/

「そなえよつねに」は、言い換えれば
「さあ、いつでもどこからでもどんな奴でもかかってきやがれ!俺はいつでも準備万端だぜ!」
という感じ?
大分俗っぽい表現になりましたけど(笑)

今大変な思いをしている人が努力していなかったと言うつもりはありません。

そなえるための努力というのは、例えば次のような話です。

営業の時間を削ってでも、日頃から財務の勉強をして、普段あまり必要なくても銀行さんとのお付き合いに慣れていれば、 すばやく資金調達できて、当面の危機は乗り越えられていたでしょう。

数字を追うくらいならまず動いて仕事をとってきた方がお金になる、という想いをこらえつつ、会計の勉強をしていれば、瞬時に自社の状況を把握して素早く正確な意思決定ができていたでしょう。

仕事に関係ないと思わず、自己啓発や趣味を通して己を磨いていれば、へこたれることのない強い心と、親身になってくれる仲間の支えが得られたでしょう。

目先の利益に飛びつくことなく、信念を持って主体的な人生設計と実行をしていれば、このどうしようもない状況を何かの誰かのせいにすることなく、自らの力で道を切り拓く事ができているでしょう。

今までのやり方でうまくいっていたと馬鹿にすることなく、うまくいかなくても新しいことに常にチャレンジしていれば、次々と次の手を打ち出しチャレンジすることに負担を感じなかったでしょう。

めんどくさいしよくわからないしとりあえず回っているからいいやと放置せず、従業員さんの報酬体系や評価制度、勤怠管理やコミュニケーションなどの改善に努めていれば、すばやく様々な制度を活用し、新しい働き方にも適応できていたでしょう。

金払ってるんだからお客様は神様やろ、と驕ることなく、取引先の方々を尊重し日頃からいい関係を築く努力をしていれば、業績が悪くなっても様々な面で力になってくれていたでしょう。

他にもいろいろあると思いますが、平時にこれらに取り組んでいても費用と労力と精神的な負担がかかるばかりで、直接売上につながるわけでもなく、自分の事業がうまくいっているうちはあまり恩恵を感じることはない、ということもあるでしょう。
逆にそういうのをすっ飛ばして現場の業務に没頭している人の方が良い結果を残しているということもあるかもしれません。
 
 
 

どっちが正解、ではないけれど、そなえは大切

そして、それらのことは必ずしもやらないといけないかと言われると、人それぞれ、という回答になります。正義や悪、正解や不正解というものは存在しません。

そなえるかそなえないか、という判断は、次のように言い換えることも出来ると思います。

選択肢1.「今」を優先する。そのかわり「未来」で何が起きても受け入れる、もしくは悪いことが起こらないように祈る。
選択肢2.「未来」を優先する。そのかわり「今」に多少不都合があっても受け入れる。

どちらを選ぶも自由です。
そして選ぶのは自分です。
仮に誰かに選ばされたとしても、受け入れたのは自分です。
であるならば、選択した責任は自分にしかありません。

次のような第三の選択肢は「存在しません」

選択肢3.「今」を優先する。「未来」に何かあっても受け入れない、もしくは他の何かのせいにする。

そなえていなかったのに今の状況を理不尽と叫び、そなえていた人が支援をすることが当たり前だ、というのは、僕は少し違和感を憶えます。
助け合いを否定するわけではありません。しかし、「囚人のジレンマ」のようなことを繰り返していては助け「合い」にはなりません。

そなえていた人は、そのための代償を日頃から少しずつ払っていたのです。
時にはそなえていない人に、「お前一銭にもならないことばっかりやってバカじゃないの?俺みたいにがむしゃらに働かないと成功しないぞ?」と馬鹿にされながらも。

今一度、自身を振り返り、自分はそなえたいのかそなえたくないのか、そしてそなえたいのならほんとにそなえる努力ができていたのか、これからできそうなのか、振り返ってみてはいかがでしょうか。
 
 
 
こんな事態はもう2度と起こらないかもしれませんし、起こるかもしれません。
別の何かが起こるかもしれませんし、起こらないかもしれません。

見えない未来を受け入れるのか、立ち向かうのか。
何を選んでも正解ですし、不正解です。
そこにあるのはただ、自分への責任です。

僕?そうですね、何があっても楽しんでいたいですね(笑)
何かを別の何かのせいにしてしまうのは楽しくないので、何かあっても自分が楽しめるような「そなえ」をしていきたいものです。

「眼開きて見極めよ
 耳そばだてて聞き質せ
 我らに不断の準備あり
 手足に心に 嗚呼 準備」

–花は薫るよ(ボーイスカウト日本連盟歌)の一節より

© Freelance Inc.